或る夜、皇帝と

「南家のソルージュが留学、ですか。トゥーラン学園都市国……聞いたことのない国名だと思ったら、絶海の孤島と」

「意外だな。ケルディオンには誰よりも詳しいと思っていたが」

 ザイレム西家南家との対立を決定的にしていたクロマに対し、セルフィンは敢えて接近した。クロマもセルフィンに何らかの価値を感じたのか、二人は頻繁に会談の場を、それも公的なものに限らず設けている。例えば今日は、煌びやかに整えられたクロマの私室で、二人はキウェートの近況について話し合っていた。

「広く見聞を集めはしましたが、それでも大陸全土の網羅には遠く及びませんよ。例えばパルティニアに直接訪れたことはありませんし、姉さまの手掛かりだって何一つ掴めていない」

「……お前はずいぶんシルルにご執心のようだな」軽蔑か、呆れられているのか。セルフィンが姉の話をすると、クロマはいつもやや棘のある言葉を返す。

「元はと言えば貴女のせいなのですよ。十二年前のクーデター以降、キウェートはどこも憔悴しきっている。姉さまもそうですし、此度の南家の不可解な動きも、恐らくは」

「あれは……他に方法がなかったんだ!」

 彼女は――現キウェート皇帝は時折、『言葉』と『唇の動き』が一致しないように見える。これはセルフィンが冒険者として研鑽を積んでから、感じるようになった微かな違和感だ。きっと他の者は気付いていないし、それゆえ政は『言葉』の方に沿って動くのだから、普段は考慮に値しない。しかし……今日は好奇心が勝った。

「皇帝になるつもりは無かった、とでも?」

「……!」

 鎌にかかった。クロマは目を見開き、俄かに固まっている。自分に読唇の技術はないし、読み取ろうとしても『言葉』の方が脳裏に反響する。恐らくは情報災害やミーム災害の類……では誰が何のために?彼女自身が伏せたい情報ならば、こんな遠回りな方法使う必要ないだろう。きっといつかは、この謎を解き明かさなければならない。何よりこの自分の好奇心がそれを捨て置くはずがないのだ。だが……それは政治を蔑ろにしていいということにはなりえない。

「――――」

「いいえ。たとえ本当にそうなのだとしても」何か言おうと開かれた女帝の口に、セルフィンは指を滑り込ませた。

「貴女の“支配力”は本物です。貴女の権力も飾りじゃありません。なぜならこの国が皇帝を必要としているから。そして……私には、それが貴女である必要がある」

「ぅあ、ん……っ」クロマの舌が何かを喋ろうと蠢くのを、セルフィンは抑え込む。二本の指が口の中を優しく、しかし力強く這い回り、彼女から言葉を、抵抗を……自由を、奪っていく。これは彼女の意に反することなのかもしれない。残酷なことをしているという自覚はあった。だがこれは必要なことなのだ。彼女には犠牲になってもらわなければならない。なぜなら――

「権力が濫用され、政局が混乱すれば、犠牲になるのは力なき民です。貴女がそうしようとするならば、ザイレムとして私はそれを戒めなければなりません。……貴女は自分の嗜虐心を満たすために無辜の民を犠牲にするような愚帝ではないと、私は信じています」

「…………」最後の言葉が効いたか、クロマの抵抗は止んでいた。名残惜しそうに舐られるのを感じながら、セルフィンは挿れる時とは逆に、優しくゆっくりと指を引き抜いていく。糸を引く涎が暖炉に照らされ、ゆらゆらと瞬くのを、二人は意識せずにはいられなかった。

「……お前はやはり、シルルの妹だな」

「いいえ……姉さまなら、もっと上手くやれていました」

「私はお前の……お前のやり方のほうが好みだ」

 手練の戦士であるはずのセルフィンが、気付けば寝台に押し倒されていた。クロマは真っ直ぐセルフィンの瞳を覗き込み、その意識を独占しようとしている。自分が、そうされているように。

「まさか姉さまにも、こんな風に手を出した訳ではないでしょうね?」

「そんな隙があいつにあったと思うか?」

「どうでしょう。姉さまは皆に優しいですから」

「それを汚す勇気は、私にはなかったさ」

 クロマの手が、セルフィンの乳房を捉えていた。服を脱がす間も惜しみ、その慎ましやかな胸を乱暴に揉みしだく。いつも焦っているように見えてはいたが、まさかこんなところまでもとは……半ば呆れながらも、セルフィンは服を捲り、素肌の感触を味わえるよう、彼女が互いを悦ばせられるよう、手を導いてゆく。

「……なぁ」いきなり顎を引かれ、セルフィンはクロマと顔を合わせた。いつにも増して余裕のない、渇いた者の表情をしている。――伝えたいことがことごとく歪められてしまうのならば、こうなるのも致し方ないのかもしれない。

「お前の意向は汲んでやろう。だから、代わりに頼みたいことがある」

「お聞きしましょう」

「トゥーランには関わるな。送り込んだ梟目衆が皆おかしくなってしまったんだ。異常を異常と思えなくなっている……あの国は、何か恐ろしいものに呪われているのかもしれない」

「……なるほど。しかし南家がアプローチをかけているにも関わらずこちらからは野放し、というのはいかがなものでしょう」

「お前のことが心配なんだ……他に手立てもない」

「外交的視察を行うだけですよ。私は経験豊富なんですから、信じてください」

「……………」

 何も聞こえはしなかったが、クロマの頬を撫でる掌が、微かに口が動くのを感じ取った。その手を引けば、彼女は導かれるままに私と唇を重ね合う。確かめ合うのは愛ではなく、もっと根源的なもの――お互いの、そして自分の存在。四肢を絡め、強く抱きしめてくる彼女からは、今や熱だけでなく湿り気まで感じられる。

 この身士族なれど、今夜ばかりは彼女の支配を甘受しよう。セルフィンは自ら唇を開き、彼女の舌が挿入るのを受け入れた。


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